ファイヤーヘッド、オープンまでの軌跡

masa_arsha_3はじめまして。ファイヤーヘッド、代表のマサと申します。

僕は埼玉県の出身です。初めて沖縄に来たのは小学校4年生の頃です。

当時【少年の船】という企画がありました。全国から子供達だけを大勢集めて船旅をさせる、といった企画です。僕はこの企画に無理矢理応募させられれました。母親の仕業です。幼少期、引っ込み思案だった僕は母親にこう叫び続けました。『行きたくない!』。知らない人ばかりの旅行なんて、本当に行きたくありませんでした。この企画、とても人気があって定員を大幅に越える応募があったとの事で抽選になりました。『やった!くじ引きで外れれば行かなくて済む!!!』僕は喜びました。しかもくじ引きの順番は、一番目でした。絶対外れる!外れますように!!!と願いくじを引き、出たのは【大当たり!】・・・・・。母親は大喜び。何が何でも沖縄に行かせたかったようです。

実際の船旅は、僕の予想を遥かに絶する程楽しい時間でした。お友達も出来ました。そして沖縄という土地に、僕は言葉にならない衝撃を受けました。理由は、今でもわかりません。だけどその時に、『僕は、ここに住むかもしれない。』と、こう感じたのは今でもハッキリと覚えています。

僕は高校在学中から美容師を志し、今日までずっと美容にドップリと浸かる人生を送ってきました。18歳から8年間、東京で修行を積みました。本当に辛い日々でした。夜は日付けの変わる頃まで毎日のトレーニング。美容が好きだから続けられましたが身体はボロボロでした。そんな時も生活の片隅にいつも沖縄はありました。東京にいながら、仕事後は沖縄料理のお店に通いました。都会の中の小さな沖縄は疲れた心を優しくほぐしてくれました。沖縄出身の友達も沢山出来ました。沖縄民謡のライヴに行ったり、泡盛を覚えたりと。青春の傍にはいつも沖縄がありました。

そして素敵なご縁があり、沖縄出身のお嫁さんを貰いました。これには、変な言い方ですが、僕自身も驚きました。1つお断りしておきますが、出身地優先で嫁選びをした訳ではありません(笑)これは僕の人生全てに共通している事なのですが、想い描く事、願う事、意識し続ける事。これを続けると、道はおのずとひらかれます。あとは周りに感謝しながら、その道を進むだけです。

僕は沖縄移住を決心しました。移住に関しても、美容師という仕事をしてきたからこそ実現できました。美容師はハサミさえあれば、どこででも仕事が出来るのです。

沖縄で自分のお店をオープンするのは僕の夢でした。小学生の時に、天から降ってきたかの様に突然感じたあの気持ち。美容師という仕事。東京での出会い。今全てが繋がって、1つの大きな道になり、僕の前に姿を現しました。沖縄という慣れない土地で僕がここまで歩みを進められたのも、周りの人々の支えがあってこそです。沖縄には感謝してもしきれません。

今は娘も生まれ、母親も移住を済ませました。ここから僕は、沖縄に恩返しをしたいと思っております。この土地で、自分の学んできた事を惜しみなく放出して、沢山の人たちと関わりながら、僕と関わった人の心を、少しでも豊かに出来たらいいなと思っております。

皆に必要とされるサロンを目指します。
よろしく御願いいたします。